日本の庭と音楽

日本の庭は個々の木が伸びやかに存在しつつも、どこか調和が取れている。ヨーロッパの庭園のような派手さはないかもしれない。静かではあるが生き生きといていて、心地がよい。

幸田文『雀の手帖』より「故郷のことば」にはこんな植木屋の言葉をが綴られている。

庭の植木というものには、かならず眼を休める場所がこしらえてあるものでして、お座敷に坐ったお客様と御主人の眼が、ちょうど無理なくそちらへ向けられるところへ、植木屋は木をつかっております

人工的に作られたものに限らずどこか良い風景というものには、それぞれの輝きを放つ個だけでなく、それらの調和があり、眼の休まる場所の存在がある。

音楽にも似たようなところがある。

生き生きと歌う旋律。さまざまな声部。緻密に配置された音。音楽の進行は庭における視線の移動と重なり、必ず聞いた者を落ち着かせる場所が存在する。モチーフは繰り返され、太陽の光が、風が、雨が、どこからかやってきた鳥たちが、それらに変化をもたらす。

どちらも言葉で表すまでもなく良いものだが、言葉に表しても良いものである。